今も実家のマンションの壁には、父の描いた絵がたくさん飾られている。
その中で私が一番好きな絵がこれ。
構図がダイナミックでしょう?
他の父の絵はもっと普通の風景画で、これだけが少し違っている感じです。
信貴山寺。
正式名称は「信貴山朝護孫子寺」というのだそうです。私たちはいつも「信貴山寺」と呼んでいました。
なのでこの記事でもこの後は「信貴山寺」と呼ぶことにします。
信貴山は、奈良県生駒山地の南端にある、標高437メートルの山です。
本堂からの眺望はそれはそれは素晴らしいです。
赤門前の大寅
この絵に描かれている「張子のトラ」が好きなのも、この絵が好きな理由のひとつです。
このトラは境内の赤門の前に置かれていて、高さ3メートル、長さが6メートルもあるもの。昭和61年(1986年)寅年の正月に信者の方が寄付されたものだそうです。
勝利を願ってお参りに来るタイガースファンもいるようですよ。
信貴山寺はトラに縁のあるお寺で、本尊である毘沙門天は、寅の年、寅の日、寅の刻(午前4時ごろ)に出現したとされています。
こちらが実物です。
父の絵と構図が似てますね。公式サイトのトップにもなっているので、有名な写真なのかもしれません。
五種の心
今回、この記事は実家で書いていて、何か信貴山寺に関する情報がないかと父の本棚を眺めていたところ、生前父が集めていた「小学館ウイークリーブック 週刊 古寺をゆく」というシリーズがあって、その中で信貴山朝護孫子寺が紹介されていました。
その中で、当時の朝護孫子寺法王の鈴木凰永さんの手記のページがありました。
当山には、「五種の心」をもって念じ祈れば、必ず福徳を得ることができるという、御本尊毘沙門天の御教えが伝えられています。「五種の心」とは、次のようなものです。
小学館ウィークリーブック 古寺をゆく
一、父母孝養ノ為(感謝敬愛の心) 祖先から両親へ、自分から子孫へバトンタッチされていく、何よりも尊い「命」への感謝の意思表示です。
一、功徳善根ノ為(奉仕の心) 人は単独で生きているものではありません。生かされていることに報い、共に生きるために善いおこないをします。
一、国土豊饒ノ為(万物共生の心) 自分自身が暮らす、地域が、国が、地球全体が、豊かで平和で住みよいことを願い、努めます。
一、一切衆生の為(慈悲の心) 生きとし生けるもの、すべてをいつくしむことです。
一、無上菩提の為(修練の心) 生きるなかで、悩みや迷いは尽きません。過ちも犯します。しかしそうした苦悩の一つ一つは、器を磨く砥石でもあります。困難を受けとめ、精進を重ねていくと、やがては己も、他人さえも救われます。
よいお話ですね。
信貴山には国宝の「信貴山縁起」という巻物があります。
子どものころ大好きだった「飛倉」というお話がこの信貴山縁起の中のお話だったと知った時にはびっくりして、ますますこのお寺が好きになったのでした。
では最後に「飛倉」のお話を。
私が子どものころ大好きだった小学館の童話シリーズを母がまだ取っていてくれました。「飛倉」はその中の「29 日本の絵話」に収録されています。
たぶん、巻物に描かれた本当のお話からはかなり子ども向けにかかれていると思われます。
ほんとうは全部ひらがなとカタカナなのですが、あまりに読みにくいのでところどころ漢字を交えて。
飛倉
ふしぎな はち
むかしむかし、みょうれん(命蓮)というたいそうえらい坊さんがいました。
信貴山という高い山の上に、お寺をたてて、まいにちお経をよんでいました。
「命蓮さまは、生きたほとけさまのようなおかただ。」
「かなしいときや苦しいときは、信貴山のお寺にいって、ありがたいおはなしを聞けばなおってしまう。」
山のふもとの村のひとたちは、そういって、なにかあるとお寺に出かけていきました。
こどもたちもついてきて、よろこんで遊んでいきます。
命蓮はこどもたちがだいすきでした。
おはなしをしてきかせることもあれば、いっしょになって庭であそぶこともありました。
村のひとたちは、畑のものがとれるとまっさきに「信貴山の命蓮さまにたべていただこう」と、お寺にもっていきました。
ダイコンをもっていくひともあれば、ニンジンをもっていくひともありました。
お米やムギがとれると、やはりいちばん先にもっていきました、
俵につめて、馬ではこんでいくひともありました。
「命蓮さま、わたくしの田でとれたお米です。どうかめしあがってください。」
「これはこれは、ありがとう」
命蓮はしんせつな村のひとたちにお礼をいってからいいました。
「けれど、わたしは、ほんのすこしあればたりるのだ。こんなにたくさんは、とても食べきれない。それにこの山のうえまではこんでもらうのは、きのどくだ。これからほしいときには、この鉢を飛ばすことにしましょう。鉢が飛んでいったら、それにすこしいれてください。」といいました。
鉢は、村へなかなか飛んできませんでした。
おとうさんやおかあさんからはなしをきいた子どもたちは、まちどおしくてなりません。
「命蓮さまの鉢は、まだこないの。いつ飛んでくるの」
「まだお寺にお米がおありだから、それでこないのだよ」
「どうやって飛んでくるかしら」
子どもたちは、毎日、信貴山の峰をみながらまっていました。
するとある日、鉢がひらひらと、まるでいきているように空を飛んできました。
「わっ、命蓮さまの鉢だ。鉢が飛んできた」
子どもたちは両手をあげてよろこびました。
鉢は、蝶が舞い込むように、家の中にはいりました。
その家のおかあさんが、「ごくろうさま、これはお布施のお米です」といって、中にお米をいれました。すると鉢は空にまいあがって、信貴山の峰へと飛んでかえりました。
それからは、鉢はときどき飛んできました。そして、どこかしらの家にはいりました。
よくばり長者
ちかくの村に、山崎の長者といって、たいへんな金持ちがいました。
たくさんの田んぼや畑があって、おおぜいのひとをつかってぜいたくにくらしていました。
ところがとてもよくばりでした。
ある日、びんぼうできのどくな村びとがやってきました。
「おねがいでございます。からだが悪くて、はたらけませんでした。どうか、おかねを返すのを待ってくださいまし」
いっしょについてきたとなりの人もいいました。
「長者さま、わたくしたちからもおねがいします。どうか待ってやってください」
ところがききいれません。
「だめだ、だめだ。かえせないというのなら、おまえたちの家をよこしなさい」
山崎の長者はけちんぼなばかりか、それはそれは、なさけしらずの人でした。
するとそのとき、さっと何かが飛んできました。
信貴山の命蓮の飛ばした鉢が、山崎の長者のやしきにも飛んできたのです。
「お山から鉢が飛んできた」
「お米をもらいにきたのだ」
村びとたちはいいました。
けちんぼな長者は、何も入れてあげたくありません。
「こじき坊主の鉢なんか、おっぱらってしまえ」
長者は棒をふりまわしながら、
「あっちへいけ、よそへいけ」と鉢を追い払いました。
ところが、鉢はひらひら舞いながら、戸の開いていた米ぐらに飛びこみました。
「さがしだして、外へおいだせ」
召使いたちに、長者はいいつけました。
ところが、いくら召使いがさがしても、みつかりません。
「いったい、どこへいったんだろう」
しかたがないので、戸をしめてしまいました。
ゆれる米ぐら
しらばくたってからです。
ごおうっと、おお風のような音がして、鉢のとじこめられた米ぐらが、ぐらぐら地震のようにゆれだしました。
その音におどろいて、やしきの者たちが飛びだしてきました。見てなおびっくりしました。
ゆれていた米ぐらが、地面からゆらゆら浮きあがったからです。
「うわあ、これはたいへんだ。長者さま、長者さま、きてください」と叫びました。
何ごとがおこったのかと、長者は飛びだしてきてびっくりしました。
「はやく米ぐらをおさえつけろ。早く早く」
けれど浮きあがる力がつよくて、おさえつけることなどできません。
「あれ、あれ」とさわぐばかりです。
そのとき、倉のなかの鉢が、すきまからすっとぬけでてきました。それから床下にはいると、ぐっと米ぐらをもちあげました。
そして、ふわりふわりと、おおきな米ぐらをのせて、空へ舞いあがりました。
米ぐらは、長者のやしきの高い屋根よりも、もっとたかくのぼりました。
そうして、ゆらゆらゆれながら、飛んでいきました。
長者は大あわてです。
「わしのうちのだいじな米ぐらだ。米の俵が千俵もはいっているのだ。なくしてなるものか。おいかけていってとりかえしてやろう」
長者は召使いに馬を引きださせると、いそいでまたがりました。
あとからは、召使いたちが駆けていきました。
ふわりふわり、米ぐらは、はたけや田んぼのうえを飛んで、小川をこえていきました。
長者は夢中で馬をはしらせました。すると信貴山のふもとにきました。
米ぐらは、おいしげった松やヒノキのこずえの上を、峰を指して飛んでいきます。
長者は、けわしい道をのぼっていきました。
返された米
とうとう、山のうえにつきました。みるとお寺のお堂のそばに、米ぐらがどっかりとすわっていました。
「あった、あった。ああ、よかった。返してもらおう」
長者は階段のしたに手をついて、「おねがいでございます」といいました。
お経をあげていた命蓮が、出てきました。
「これは、なんのご用です」
「命蓮さま、今日は鉢が飛んできましたのに、うっかりしてお米をいれるのをわすれて、倉の中にとじこめてしまいました。なんとももうしわけございません。どうか、倉をお返しください」
「わたしは、まただれがこんな米ぐらをお布施にくれたのかと、おどろいていたところでしたよ」
命蓮は、そういってから、「でも、せっかくこうして鉢がもってきてくれた倉だから、もらっておきましょう」といいました。
これをきいて、長者は、がっかりしました。
「まあ、そんなにたくさんのお米を、ひとりで召しあがるのですか」
長者がきくと、「ははは、とんでもない」命蓮は、おかしそうにわらいました。
「なかのお米はいりません。倉だけ、置いていってもらいます。何かいれるのにべんりですから」
長者は、それをきいてあんしんしました。
けれども、こまったことになりました。
「千俵もあるお米を、どうやってはこんだらいいでしょう」
「しんぱいすることはない。鉢がはこんできたのだから、鉢におくらせましょう。さあ、一俵、鉢のうえに乗せてごらん」
そこで長者は、力持ちの召使いにいいつけました。
召使いが、鉢のうえに一俵のせると、命蓮がいいました。
「米だわらを、長者の家にかえしておいで」
すると鉢は、米だわらをのせたまま、空へ飛びあがりました。つづいて一俵、また一俵と、倉のなかから出てきて、あとを追いかけました。
これをみて、長者は、村のひとが命蓮さまは生きぼとけさまだといっているのはほんとうだ。鉢をおいかえそうとして、すまないことをしたとおもいました。
「命蓮さま、みんな飛ばしておしまいにならないで、半分だけのこして、あなたがおつかいになってください」
「いや、米は、いつでも鉢がいりようなだけもらってくるから、よぶんにはいりません。けれど、せっかくのおこころざしだ。わしにくれる分を、まずしい人たちにあげてください。」
「はい、よくわかりました。そういたします」
長者は、なさけぶかい命蓮をえらい坊さんだと思いました。じぶんのよくばりが、はずかしくなりました。
山のうえを飛びたった米だわらは、雁のようにいちれつに並んで、空を飛んでいきました。ふもとではおとなも子どもも、「米だわらのぎょうれつだ」と目をみはりました。
長者が家にかえってくると、千俵の米だわらのやまが、庭にできていました。
「命蓮さまのおくりものです」
やさしいこころになった長者は、お米の俵をぜんぶ、まずしい人たちにくばって歩きました。
おしまい
絵・清原ひとし
文・西山敏夫