ひとり暮らしの母

カテゴリー つれづれ, 父のこと、母のこと

今、私の母は83歳だ。もう35年住み慣れた関西のマンションで一人暮らしている。「もうすぐおばあちゃん(母の母親)の死んだ齢(84歳)になる」と何かにつけ口にする。

私はもう15年東京に住んでいて、私の生活基盤はもうすっかり東京だ。

年齢の割には健康でいてくれているので、私はすっかり甘えてしまっている。いつまでもこんな生活が続くはずがないことは分かっているのだけど。

母はお嬢さんだ。

別に実家がお金持ちなわけではないけれど、不思議なくらい苦労をしていない。もちろん母なりにそれなりの苦労はあったと思う、父は結構やんちゃな人だったし。

だけど先の太平洋戦争でもそれほどひもじい思いもしなかったとのことだし、父と結婚するまではずっと実家だったし、父と結婚してからはずっと専業主婦で、それなりに給料をもらっていた父のお金で生活をしていた。

父も母も浪費家だ。さすがに借金まではしないけれど、宵越しの金は持たない、的な。私も多分に漏れずその血を受け継いでいるのだけど。


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さすがに専業主婦の遠慮があるらしく、私の知る母はほとんど自分で自分のものを買うことはなかった。若いころ母は(その時点で)今風のきれいな人だった。おしゃれも大好きだったようだ。だから時々、誰かの結婚式だとか私の入学式だとか、父の故郷である九州に久しぶりに帰るだとかで父が洋服を買ってくれるとき、母はとてもとても嬉しそうだった。私も就職してからは、母の日や母の誕生日には洋服をプレゼントしたものだ。

自分のものを買わない代わり、家族のためのもの、特に食材に関しての母の金払いのよさは相当なものだった、と子供のころは分からなかったけれど今しみじみ思う。冷蔵庫はいつも食材で膨れ上がっていた。母は料理も上手だったし、毎日テーブルの上には所狭しと3皿も4皿も母の手作りのおかずが並んだ。

それが今も尾を引いているのである。自分一人になってから、母はほとんど手の込んだ料理をしなくなった。夜は生協のお弁当。一人分の食事を作るのはたいへんだから、もちろん私もそれでいいと思っているけれど、それでも冷蔵庫の食材はやっぱり膨れ上がっているのである。いくら親子でも今や世帯は別なのだからとやかく言いたくはないのだけど、高齢になった今、冷蔵庫の整理をするのも億劫な様子で、あるとき見かねて冷蔵庫の1/3程度の棚卸をしてみたら(また大きな冷蔵庫なのである)、出るわ出るわ、おととしの卵なんぞも出てくる始末。

私は何が言いたいのだろう。

きれいだった母、お料理上手だった母。大好きな私のママ。

母はすっかり耳が遠くなってしまった。毎日電話をかけるのだけど、天気とか、体調のこととか、母の予測の範囲内の内容であれば会話が成り立つものの、急に「そういえば私の部屋のタンスに〇〇があったと思うんだけど・・・」などと言っても母にはもう通じない。どうしても必要であれば、あとからメールを送るしかない。

物忘れもひどくなった。

ほぼ毎晩電話がかかってきて「今日は東京に泊まるの?」と聞く。

怒ってもしようがないので、普通に話す。「うん、そうだよ。今日は東京」

すると「そう、そうしなさい。こっちはお天気が悪くなるみたいだからそのほうがいいよ。東京でゆっくりしなさい」などという。私は母の優しさに悲しくなってしまう。

父亡き後、私にだけ頼り、私のことだけ考えて生きている母。

私はどうすればいいのか。東京の生活を手仕舞いして母のもとに戻ることもできる。本当はそうするべきではないのか。母の周囲の知人たちはどうやらそんなふうに思っているらしいのが分かる。こんな高齢の老母を一人で放っておくなんて、と。私だってそう思う。

今の生活や未来を手仕舞いして母との暮らしを始めたとき、私は機嫌よくやっていけるだろうか。逆恨みに母を憎んでしまったりしないだろうか。

東京の友人たち、東京でやりたいこと、東京の今の生活。

順当に行けば母より数十年長く生きる私。

そんなことを考えながら、一日一日をやり過ごしているのである。

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